ずっと好きだった女の子、とうとう想いを伝えることができず

私にとっての初恋は、小学生2年生の頃のことでした。

それまでも、何度か「好きな人」という存在がいたことはあったのですが、自分の中に明確な恋心を認知したのは、この時が初めてでした。

私が好きになったのは、クラスの中でも一際大人びた雰囲気を持った、背の高い、頭の良い女の子でした。

いつも冷静で、少し話しかけづらいほどのクールなオーラを纏った彼女でしたが、笑った顔がとても可愛らしく、いつしか私は、彼女の笑顔を見ることが目標のようにすら感じていたのです。

 

当時、私は大人しいながら明るい性格だったので、すぐに彼女と仲良くなることが出来ました。

念願としていた眩しい笑顔も、毎日のように見ることが出来ました。

しかしながら、私は背が低く、運動も勉強も彼女より出来ず、お世辞にもカッコイイ男子ではあり得なかったのです。

憧れの彼女と仲良くなることは出来たものの、そこにはどうしようもない格の違いのようなものがあり、幼いながら、友達でしかあり得ない自分に情けなさを感じていました。

小学2年生の時点ですらその有様でしたから、学年が進むと、彼女と私の間の成長度合いのギャップは、ますます大きくなっていきました。

小学4年生になる頃には、彼女は明確に「お姉さん」としての空気を醸し出すようになり、仲が良いはずの私でも、目を見て話すのが緊張するほどでした。

一方の私は、相変わらずの子供っぷりで、背の順でも前から2番目、声変わりもまだまだ遠い未来のようでした。

ですが、少なくともこの時点まで、3年間に渡って、私が好きだったのは、この女の子ただ1人だったことは確かです。

 

私たちが小学6年生になった頃、周りの男子たちも、恋に浮かれる年頃になってきました。

皆、それぞれに好きな子ができ、修学旅行の日の夜などに、明かし合うこともありました。

私が好きだった彼女は相応に人気があり、私は自分の恋敵の多さに、ますます気後れしてしまうような思いでした。

先を越されないようにと、小学校卒業を機に、彼女に告白しようかとも思いましたが、中学も同じところに進学するのだからと、臆病になって逃げてしまいました。

 

中学に入ってから暫くして、私と彼女の関係に、少しずつ変化が見られるようになってきました。

まず、私自身が成長期に入りました。

彼女の身長を抜かし、適度な筋肉もつき、声変わりもして、子供っぽさがだんだんと薄れていったのです。

また、彼女も相変わらずの秀才でしたが、私の成績も向上し、中学2年生に上がる頃には、私の方が成績では上回るようになりました。

そして何より、彼女の方から私に対してアタックを仕掛けてくることが増えました。

最初は、自分が彼女のことを好きすぎるがゆえに、過剰に反応してしまっているだけなのだと、気持ちを抑えていました。

ですが、何もないのに私の方を見て笑顔を向けてきたり、一緒に物を運ぶ時に手を触れてきたり、雨の日に相合傘をして帰ったこともありました。

 

今思えば、彼女も、私のことを好きでいてくれたのだと思います。

というより、彼女にとっては、私が好意を寄せていることは、数年前からバレバレだったのだと思います。

長年、一途に彼女に愛を向けていた私を、そして適度に成長し、彼女に相応しいかもしれない男になれた私を、彼女は認めてくれたのかもしれません。

中学2年生の修学旅行をきっかけに、私は彼女に告白をして、正式に恋人として付き合ってほしいと告げることを決意し、友人にも相談しました。

 

しかし、これが完全に仇となってしまったのです。

おそらくは、私の恋が成就しそうになっていることに嫉妬したのでしょう。

その友人が発信源となり、私が別の中学の女子と1年前から付き合っているという噂が水面下で流れ、彼女の耳に入るところになってしまったのです。

彼女からすれば、恋人がいながら自分に色目を向けてきた男だったのかと、裏切られたような気持ちになったことでしょう。

彼女の態度は途端に冷たくなり、私が話しかけても笑顔を見せてくれることはなく、私は何が何だかわからなくなってしまいました。

修学旅行の間中も、遠巻きに彼女を見ることが精一杯で、目を逸らされるなか、とても告白など出来る状態ではありませんでした。

結局、私がありもしない自分の噂話のことを知ったのは、ついに彼女に何も伝えられないまま、中学校を卒業した後のことでした。

 

こうして、私の初恋は、最後に苦々しい後味だけを残して終わりました。

小学校2年生から、中学校卒業まで、ずっと彼女のことが好きでした。

もっと早くに素直に想いを伝えていれば、また違った物語に出会えたのでしょうか。

 

ですが、運命は最後にちょっとだけ、私にオマケしてくれたようでもありました。

私が大学生になった時、思いがけず、道端で彼女と再会したのです。

彼女はあの時と変わらず、お姉さん的なクールな空気を纏ってはいましたが、私に向けてくれた笑顔の眩しさは、最初に彼女を好きになった瞬間のそれと全く変わっていませんでした。

その笑顔を再び見られただけで、私は全ての後悔を忘れることが出来たのです。

そして恐らく、彼女の方も。

彼女はそのまま、恋人の手を引いて去っていき、私もまた、恋人の手を取って反対方向に歩き去ったのでした。

初めてできた彼女との思い出:若きひの私は純粋すぎた

初めてできた彼女との思い出は私が18歳の時でした。

私と彼女は地元の友達で小、中学校が同じでした。

彼女を仮にAちゃんと呼ぶことにします。

私とAちゃんが付き合ったのは高校を卒業してから。

高校時代はたまに遊ぶ程度でした。

遊ぶといっても関東の片田舎で、することといえば友達数人と公園で話したり友達の誰かの家に遊びに行く程度でした。

Aちゃんもその数人の友達の中の一人という感じで、その時は私はまだAちゃんをことを特に意識はしていませんでした。

それから私は地元の高校を卒業して東京の大学に進学、Aちゃんは地元から専門学校に通っていました。

私は地元から大学に通えないこともなかったんですが、一人暮らしに憧れ、親に頼んで東京に部屋を借りてもらい地元には月に1,2度は実家帰る生活をしていました。

そんなある日、東京から地元駅に降り立ち実家に帰る私とAちゃんはばったり出会いました。

お互いの実家は目と鼻の先、帰る方向は一緒、バスに揺られること30分、バス停を降り、5分歩くとAちゃんの家、それを通り越した先に私の実家はあります。

その日も仲の良い友達同士、お互いの話は盛り上がりました。

お互いの学校のこと、親のこと、地元の友人のことや新しくできた友人のことなど話題がたくさんありすぎて話しきれませんでした。

彼女の家の前に着き、また話の続きをしようと約束しその日は別れました。

まだ当時はポケベルの時代。

ポケベルとはGoo辞書によると、ポケットに入るような小型の無線受信端末。

液晶画面に数字列や簡単な文字列などを表示でき、普通の電話機から呼び出してメッセージ文を送れるが、通話はできない。

つまり、そんな時代。

今みたいに話したいときに好きなだけ話したい相手と話すことは出来ない時代です。

当時の若い男女は直接会って次の約束を交わすか、相手の自宅に電話しなければなりません。

今と違ってめちゃめちゃお付き合いするのが大変な時代。

仮に若い男子が女の子の家に電話をして親父が電話に出ようものなら家じゅう大騒ぎです。

そうでなくても会話内容をダンボの耳で聴かれます。

気づいたら自分の周りに家族全員正座して座ってたなんてことが冗談抜きで起こります。

私と同世代の人は共感していただけると思います(笑)

若い男女が家族の詮索を避けて会うためには直接会ったときに次回の計画を練っておくことが必須なのです!

そう、私も家族に余計な詮索をされたくなかったのでシッカリと次回の予定を組んでAちゃんと別れました。

次回会うまで数日あります。

数日間東京の一人暮らしの部屋には戻らずに実家から大学に通い、自分の部屋の片づけでもするかと思い実家にとどまりました。

あくる日暇なので近所のコンビニを数件はしごしに出かけました。

当時のコンビニは漫画や雑誌読み放題です。

しばらく外出して家に戻ると母がニヤニヤにながら「Aちゃんから電話あったわよ。あんたから電話ほしいって、ニヤニヤ」といってきました。

電話してくるなんていったいどうしたんだ?予定変更かな?と思い母のニヤニヤを気にしつつ電話してみるとAちゃんが電話口に出ました。

どうしたの、予定変更?と私が訪ねるとAちゃんは○○君数日家にいるって言ってたでしょ、だから電話しちゃった、との返事が。

私は「会ったときに話せばいいんじゃないの?」というとAちゃんは今から会おうというので、何かあったのかと思い今から会うことにしました。

今、大人になって思えばAちゃんは私に気があることはすぐに分るのですが、当時18歳のチェリーボーイにはそういった大人な感情は全く分かりませんでした。

会って話してみるといつもと変わらずたわいもない話をして盛り上がりました。

ただいつもよりAちゃんは楽しそうな様子なのはチェリーにも分かりました。

そして、今度二人で上野の映画館に寅さんを観に行こうとなりました。

ご存じの通り寅さんは国民的映画ですがデートにはどうかな?という気もしますがチェリーにはおしゃれな映画なんて概念はありませんし、Aちゃんにしてみたら二人でお出かけするということが重要だったのでしょう。

家に帰ると母親に、ねぇ、どおだった?と聞かれ、うっせえな!と返すと、うっせえなじゃないわよ!何その口の利き方は!!と怒ってみせたあとに、Aちゃんお前に気があるんじゃないの?ニヤニヤ、と言ってきたので、ちげーよ!ただ公園で話してただけだよ、というと、あんたそれデートじゃない、2人で会ってたんでしょ?今度いつ会うのよニヤニヤ。

マジか!?俺もしかしてデートしてた!?じゃあ、映画観に行くってデートじゃん!これ2人で行くしマジ!デートじゃん!!と心の中でときめくチェリーでした。

が、母親にはそんなそぶりを一切見せずやり過ごすのでした。

しかし今でも当時のことを母は覚えており、あんたあの時嬉しそうだったな、あれからずっとニヤニヤしてたな、と言われます。

すると、そうそうお前ら2人ニヤニヤして飯食ってるから気持ち悪かったわと親父が話に加わります。

Aちゃんとデート当日、私はユナイテットアローズで買った緑の実寸大の胃袋がプリントされたTシャツにこれまた緑色のジーンズにコンバースを合わせ、髪型は当時ブルーハーツのボーカル、ヒロトに憧れてたので坊主頭、自分なりに最高におしゃれな格好で出かけました。

Aちゃんは当時流行った2人組のアイドル歌手ウィンクをモチーフにした白いフリフリしたワンピースに恥ずかしいのかTシャツを合わせ肌の露出を抑えたファッションにスニーカー。

2人で上野に向かいました。

この日私はAちゃんを初めて女性として意識してとても緊張していました。二人きりの時間、改めて彼女を見るとAちゃんは背が小さく目が大きくておちょぼ口のかわいい女の子でした。そう思うとドキドキしとてしまい、会話はぎこちなく空回りしているのが自分でも分かりました。

今日は○○君いつもと違うね?というので、そうかな?と返すと、「でも楽しい!」とくったくない笑顔で答えたAちゃんを見た瞬間、私は見えない矢が飛んできてTシャッツの胃袋を貫通し私の心臓を射抜きました。急激にAちゃんに女を意識した私は舞い上がってしまい、それ以降の記憶はあまり覚えていません。

しかしそんなさなかでも手を握ったことは覚えています。

どちらが先に言い出したのかはわかりませんがきっとAちゃんでしょう。

手をつなぎ上野の街を歩きました。

小さくて細い指やわらかい手でした。

Aちゃんとは何度かデートしましたが手をつなぐ以上のことはしませんでした。

純粋な私にはどうすればよいのかわからなかったのです。きっとAちゃんからお誘いのサインが送られていたのでしょうが見逃していたのかもしれません。

それからAちゃんとは自然消滅してしまいましたが、私にとってAちゃんとの関係は初彼女としての良い思い出となっています

実らなかった片思い。でも本当は?両想いだったんかと後悔の恋

私は、小学生から高校までの幼馴染がいました。

友達以上恋人未満のような、とても距離が近く、居心地がよい関係でした。

小学生時代から高校生まで、一緒に帰宅する幼馴染でもあり、デートも何回もして、ただ彼女としてはなく親友みたいな関係でした。

大学では、初めてお互いが違う大学に通うことになり、距離が遠くなり、お互いの心の距離も徐々に遠くなり始めました。

就職して何年か経ち、幼馴染とも全然連絡とっていなかったとき、家にある一通の手紙がきました。

それは、幼馴染の結婚式の披露宴の招待でした。

その招待状を見たとき、心苦しくなり、なぜか嫉妬してしまい、あの頃ちゃんと気持ち『好き』という気持ちを伝えれずいたのを後悔し始めました。

僕にとっては、友達以上恋人未満の関係だと思っていたけど、本当は、ずっと好きだったんだと振り返り、そして、今も好きという事実だと感じていました。

結婚式の披露宴前に、幼馴染同士の飲み会で、好きだった幼馴染と話す機会がありました。その時は、強がって『結婚おめでとう』『俺よりもいい男性いたんだ』などちょっと冗談言いあうような飲み会の中で好きな幼馴染と楽しく飲み会しました。

飲み会帰りの後、好きな幼馴染から『二次会ちょっと二人で話して飲まない?』と言われ、二次会行きました。

そこでは、昔の僕と幼馴染のとの思い出を振り返り、小学生から高校生の思い出を語り合いました。

そこで、恋愛の話で盛り上がり、『あの時、好きな人とか彼女といなかった?』と幼馴染から聞かれ、ここでちょっと強がって『いなかった。いなかった。俺と真剣に突き当ても良かったじゃない?』と返すと、幼馴染から『本当は私も好きだったんだ。でも、君から好きって言ってほしかった。付き合ってほしいと言ってほしかった』と悲しそうな顔をしながら言われたのが今でも覚えています。

そこで、自分も好きということを伝えたけど、もう遅い、私結婚するからと言われ、そのままあまり話が弾まずとりあえず、二次会終了し、お互いきたくしました。

そして、結婚式迎え、片思い相手、幼馴染、親友というくくりから誰かの奥さんになったというくくりになり、心の中が後悔の気持ちでいっぱいでした。

そして、あれから、何年か経ち自分が引っ越す際に、部屋の掃除をしていると、片思いとの学生時代にとったプリクラがたくさん出て、今でも大切にしています。

あのとき、自分の想いをちゃんと伝えていれば、未来はかわっていたのかな、自分の奥さんとしていたのかなあなど寂しく無念と後悔の気持ちのまま生きています。

あれから、恋愛というものから遠ざかっています。

好き幼馴染とのプリクラを一枚一枚見ながら、あの時の記憶や行った場所など思い出します。

特に、デート場所は、デパートまで自転車で1時間以上かかるのに、二人で一生懸命自転車こぎながら通ったデパートデートですね。

自転車を乗りながら、雑談しながら、自転車漕ぎ、ウキウキ気分、ワクワク気分の楽しいデートでした。

好きだった幼馴染との昔のメールや記録なども見ながら、結婚するんだという現実を受け止めきれず、涙流したこともあります。

久しぶり連絡とり、もう幼馴染の相手は子供も生まれ、子育て・育児に追われて生活してるなどの生活の話を聞き、確かに今だ少し嫉妬している気持ちになっているが、幸せになって何か嬉しい気分で、未練かつ応援の別れかなと実感しています。

そして、何よりも幼馴染がいう僕の呼び方が変わっていたのか新たな変化で、もう他人になってしまったと感じました。

今までは、下の名前で君をつけていたけど、最近の名前は、苗字で、さんとう呼び方になり、彼女なりの心情の変化だと感じております。

名前の呼び方の変更は、名前から苗字、君からさんに変更したことで、さらに距離が遠くなってしまったと思いました。

今いる旦那さんと楽しそうに子供と過ごしていると、自分も、もしあの時、気持ち伝えたら、今の旦那さんが自分だったのかと妄想しながら悔やむ日々です。

彼女からもらったものはもちろん多くのもがあります。学生だったので、文房具や雑貨など多く、ただ一番は、ペアルックの服を誕生日の一回だけもらったのを思いだしました。

彼女も持っているのかなと、冗談で聞くと、『全然記憶ない。そんなのあったけ?』と笑いながら、言われてショックでしたね。

彼女も誰かの奥さんです。

だからこそ、未練持たず、彼女の幸せを願い応援します。

今でもずっとすきで、他の女性や恋愛なども全然していません。

小学生から高校生まで、幼馴染で、心の距離も近く、唯一の自分をさらけだせた相手であり、その彼女が、結婚したという事実にいまだ受け入れられずにいます。

片思いは約20年です。

だからこそ、ずっとすきでいたい。

叶わなくても好きという事実は変わらない。

相手が結婚し、後悔の別れでもありますが、自分が幼馴染といた時間を大切な記憶として残します。

幼馴染を好きでいられるという気持ちを大切に過ごし、昔の彼女との懐かしいものやプレゼントを残し、特にプリクラは幼馴染との楽しかったデートの時間の記憶を今も残します。

本当に幼馴染との別れが一番ン今でも人生の中で後悔です。

私はどうしてもその子に「好きです」と言うことができなかった

私の初恋は、高校生のときでした。

遅いと思われるかもしれません。

中学生のときにも、好意を抱いていた女子はいました。

でもそれは「なんとなくいいな」と思うくらいで、今から考えると、とても「恋」と呼べるようなものではありませんでした。

中学生の時、男子3人で、お互い好きな女子が誰かを話す、という場面になりました。

私は好きでもない女子の名前をあげました。

また別の時には、クラスの男子に「○○君(私の名前)って○○さん(女子の名前)が好きなの?」と聞かれたことがありました。

私にはそんな意識はまったくありませんでした。

ですのでなぜそのように聞かれたのか、今となってはわかりません。

 

そして私の初恋は高校2年生のときです。

ちょっとぽっちゃり気味で(ゴメン)、クラスの中でも明るい女子でした。

その子が風邪で学校を休みました。

私は授業のノートを取り、その子に渡してあげました。

今度は私が風邪で学校を休んだ番です。

その子は「私、頭悪いからノートは取れないけど、こないだのお礼にシュークリームを手作りしたのであげるね」と、メモ付きのシュークリームをプレゼントしてくれました。

 

私と同じクラスの友人の男子。

やはり同じクラスの、別の女子のことが好きだ、と私に打ち明けてくれました。

「じゃあ、男子2人、女子2人の組み合わせで、私の家で勉強会開こうよ」と私は提案しました。

私の父親は大手の銀行員で、そこそこの稼ぎがありました。

おかげで、私は家の中に自分の個室(6畳)をもっていました。

ただ、父親は私が高校1年生のときに、45歳の若さで病死しています。

これはまた後ほど述べます。

そして勉強会を女子2人に提案したら、快く引き受けてくれました。

当時、REGALのスニーカーが流行っていて、ニセブランドまででていました。

高校は私服です。

私はニセのスニーカーをもっていました。

私が好きな女子は、本物のスニーカーをもっていました。

クラスの女子の中で、本物のREGALを履いていたのは、その女子1人だけでした。

 

その女子とは、高校1年生のときから同じクラスでした。

先ほど述べたように、私の父親は私が高校1年生の時に亡くなったのです。

そしてそのとき、クラスのみんなが私あてに手紙をくれました。

たぶん先生が言い出したことなのでしょう。

ですのでその女子からの手紙も、手元にあるのです。

高校2年生になるとき、クラス替えがありました。

私はその女子と同じクラスになれました。

1年生の時は特に異性として意識したことはありませんでした。

2年生になってから恋心を抱くようになったのですが、なにがきっかけだったのかは覚えていません。

 

そして私は高校2年生の時から視力が落ちて、メガネをかけるようになったのですが、初めてメガネをかけて登校した日、私が好きだった女子が「○○君(私の名前)、ちょっとメガネはずしてみて」といいました。

私がいわれるがままにメガネをはずすと、今度は「もう一回かけてみて」といわれます。その女子は「ふ~ん」といったきりで、似合うかどうかはもちろん、どんな感想をもったのか話してくれませんでした。

今この原稿を書きながらそんなエピソードを思い出しました。

 

シュークリームをくれたり、自宅に来てくれたり……考えれば「脈あり」だったのかもしれません。

当時私は日記をつけており、「○○さん、あなたのことが好きです」とノートに書いていました。

そして、ラブレターの下書きを書きました。

しかし、渡すことはできませんでした。

ましてや「好きです」と告白することもできません。

当時の私は、各科目のテストで、のきなみクラス1位を取っていました。

唯一ニガテなのが体育。

逆に言えばそれほど勉強ができたということです。

でも性格は内気。

結局その女子とは何の進展もないまま、自然消滅の形で離れていくことになりました。

 

私は高校生のとき、図書委員会の委員でした。

そしてあるとき、学年が1年下の女子と一緒に電車に乗りました。

家へ帰る方向が同じだったからです。

私はその後輩と話をしながら、こころの中で、「私はこの女子が好きなのだろうか」と自問自答していました。

特に惹かれるところがあったわけではありません。

でも素直な、性格のいい女子でした。

私は「理屈から恋愛に入るのではない。

『好きだ』というどうしようもない気持ちが先にわいてきて、それからその子と付き合いたいと思うようになるのだ」と考え、「いや、私はこの女子が本当に好きなのではないのだな」と思い直したのです。

 

高校時代、よく友達同士で喫茶店マクドナルドへ入りました。

たいていは男子だけでしたが、男子複数、女子複数で一緒に喫茶店に入ることもありました。

そして今でも覚えているのですが、喫茶店で私が、その初恋の相手ではない女子と握手していたのです。

これは写真に残っていたため、記憶に刻まれていました。

なぜ初恋の人に告白できないのに、好きでもない女子の手を握れたのでしょうか。

今でも不思議でしかたありません。

その時私はオーバーオールのジーンズを着ていました。

私はクラスの中で一番背が低く、別の女子から「○○君(私の名前)がオーバーオールを着ていると、まるで女の子みたい」と言われたことを覚えています。

 

高校生のとき、デートできていたら。私の人生は変わったでしょうか。

私の高校のクラスに、クラスメイト同士で結婚した人がいます。

今でも年賀状をやりとりしており、お互いに孫がいる歳になりましたが。

どうしてあのとき「好きです」って言えなかったんでしょう。

「初恋は実らない」というから、付き合ったとしても別れたのかもしれませんが。

結局のところ、私が付き合った女性は、生涯で今の妻ただ一人でした。

本当の初恋というかなんというか、初心者ながら語ってます

私が本物の恋をしたのは中学3年生の時だった。

「初恋」という単語の意味は、多くの人に知られている通り「生まれて初めての恋、その人にとって初めての恋」である。

私がタイトルと書き出しの1行目を「初恋」ではなく「本物の初恋」と書いたのは、本物の恋をする前に彼女ができたことがあったからだ。

世間からしたらこれは初恋とは呼べないかもしれない。

しかし、私はこれを初恋だと思う。

なぜなら、今までで印象に残っているのはその人だと思うから。

ここからは、私の初恋の人をKと呼ぶことにする。

私とKの出会いは、中学校の委員会で同じ学級委員になったことがきっかけだった。

Kとは今まで同じクラスになったことはなかったし、目につくこともなかった子だったが、初めて見た時一目惚れに近いような何かを感じた。

それが一目惚れかどうかは定かでないが、誰にも取られたくないと思った。

まだ中学生だった私は、積極的にKに話しかけていった。

その結果、Kは成績優秀でものすごく努力家な人だということがわかった。

Kは1組でソフトテニス部、私は7組でハンドボール部でクラスは遠い上に、コートはお互いに学校の真反対の位置にあったため委員会以外であまり接点がなかった。

だからこそ、たまたま会った時はすごく嬉しかった。

話は飛ぶが、そんなこんなで仲良くなった私たちはLINEを交換した。

確か交換したのはTwitterのDM機能を使ってだった気がする。

KとLINEで話していくうちに、段々と学校外で会うようになった。

会う場所はいつも決まってKの家の前で、たまにKの家の横にある公園の時もあった。

お互い受験が控えていてあまり時間があるとは言えなかったが、私はそんなことはお構いなしに「会いたい」とLINEを送っていた。

Kは優しく基本的にはいつも「いいよ」と返してくれた。

夏にはもうすでに頻繁に会うような関係になっていたからここまでの関係になるまでに、案外時間はかからなかった気がする。

そうして段々心の距離はもちろんのこと、物理的な距離も近くなっていった。

家族以外の異性とのハグもキスもKが初めてだった。

初めてのキスは、夏休みの何日か前だったと思う。

あの瞬間は今でも覚えているし、これからも忘れることはないと思う。

お馴染みのKの家の前で、手で目を隠してチュッとした。

帰り道はすごくドキドキしていて、速く打つ鼓動に合わせて自転車を漕ぐスピードも上がった。

それからは、手を繋ぎながら話したりキスをする回数も多くなった。

実は、これまでに何回か付き合わないかという話を持ちかけていたが、いつもはぐらかされていた。

あまりにはぐらかされるものだから、私は半ば諦めかけていたが「会いたい」といえば「いいよ」と返ってくるし、キスもしてくれる。

そんなよくわからない関係だった。

だからこそ強く印象に残っているのかもしれない。

それからお互いに部活を引退し、受験に向けて本格的に勉強をしなければいけなかったわけだが、私は推薦のような形である程度の保証がされていたためどうしても勉強に熱が入らなかった。

迷惑をかけてはいけないと思いつつも「会いたい」とLINEを送ってしまっていた。

断られることもあったが、それでもよく会ってくれていた。

お互いにくっつけるような距離感になってからは、暑かろうが寒かろうがずっとくっついていた。

Kの家の門を入った脇に少しだけ道から見えないような死角があって、そこでいつも座りながらくっついて話をしたり、キスをしたり、少しだけエッチなこともした。

そこは私たちの定位置だったが、夏は蚊に刺されてめちゃくちゃ痒いし、冬はとても寒かった。

ここまでの関係でいて付き合うことにもならず、デートに行ったこともなかったが私はKのことがとても大好きだった。

好意が収まらなかった私は、無神経なことにKの受験が終わる前にもう一度ちゃんと告白をしようと考えた。

貯めた小遣いでネックレスを買い、渡すときはキザに跪きながらプロポーズをするかのように告白した。

結果は当然失敗。

振られた時の言葉は今も覚えている。

「ごめん、受け取れない。」だ。

個人的には「またか。」という感覚だったが、カッコつけて告白したこともあって少しショックでもあった。

流石にそこから少し会う頻度は減ったが、ある時Kが私と同じ高校に行こうか迷っていると言ってきた。

このセリフを聞いた時はとても嬉しかったが少し心配もした。

なぜなら私の志望校は片道約2時間ととても遠かったからだ。

交通費は3年間で約55万円と時間的にも、金銭的にもあまりお勧めできる場所ではなかった。

結果的に、私たちは別々の高校に進むことになったのだが、中学校を卒業しても私は彼女が好きだった。

しかし、段々会うこともなくなっていき、Kへの気持ちは忘れていった。

そんな私に高校生初めての彼女ができた。

その子とは何をしたわけではなく、ただ付き合っているという肩書きだけがあった。

ある時、KからLINEがきた。

内容は私と付き合っていればよかったというものだった。

私はそれを「もう遅いよ」と冷たく遇ってしまった。

それ以降Kから連絡が来ることは無くなった。

高校3年の夏に一度会う機会があった。

Kは成長してとても綺麗になっていて、二人で過去のことを「懐かしいね」と言いながら話したのはいい思い出。

Kは今保育士になって元気に働いているそうです。

一方、私はというと社会の荒波にもまれ適応障害になり現在フリーター中です笑

自転車をパクった私が連れて行かれたのは大きな御屋敷

駅に自転車を置いておいたら盗まれた。

私、「自転車が無いとバイトに遅刻するじゃねえか」

同じ高校に通う友達のA君、「ここに置いたの?他に置いたんじゃないの」

私、「ここで間違いないよ、改札口に一番近いんだから」

A君、「パクられた自転車はママチャリ?」

私、「違うマウンテンバイク」

A君、「お前がマウンテンバイク?」

私、「俺がマウンテンバイクに乗って悪いかよ」

A君、「普通、ヤンキーはマウンテンバイクに乗らないだろ」

盗まれたマウンテンバイクは、私が3日前に拝借したもの。

仕方がないため、近くにあったカギが掛かっていないママチャリを拝借した。

バイトの居酒屋を出たのが夜の10時過ぎ。

私、「もしもし、母ちゃんはいる?」

小学生の弟、「いないよ」

私、「メシは食った?」

弟、「まだ食べてない」

受話器からは妹の泣き声が聞こえたため、コンビニで弁当を3つ買った。

1家に帰ると、玄関に母親の靴は無かった。

部屋から聞こえるのは妹の泣き声。

私、「オムツは替えた?」

弟、「替えた」

私、「ミルクは?」

弟、「あげた」

赤ちゃんの妹は、私の顔を見ると泣き止んだ。

弟、「兄ちゃんは、どれを食べるの?」

私、「兄ちゃんは何でも良いから、お前は好きな弁当を食べな」

再び赤ちゃんが泣き出したのは、弟の弁当が欲しいから。

母親にも私にもキツク言われている弟は、妹に弁当をあげることはなかった。

妹が泣き止んだため弁当を食べ始めると、カツカツとハイヒールの足音が聞こえた。

弟、「母ちゃんが帰って来た」

私、「ドアを開けてあげて」

弟が玄関ドアを開けるのが遅れると、母親はドアチャイムを何度も鳴らした。

弟、「母ちゃんウルサイよ、赤ちゃんが起きちゃうだろ」

母親、「たっだいまー」

母親が陽気なのは酒に酔っているから。

母親、「これ食べな」

弟、「あっ寿司だ。兄ちゃん食べよ」

私、「俺は良いよ」

私が寿司を食べないのは、母親がどうやって寿司を得たのか見当がつくため。

弟が寿司の包装紙を外し始めると、再びカツカツと足音が聞こえた。

弟は久しぶりの寿司を夢中に食べているため足音に気づかなかったのだが、妹が泣き出した。

「ピンポーン」

ドアチャイムが鳴ると、夢中に寿司を食べていた弟が私を見た。

コンビニ弁当を食べていた私が立ち上がろうとすると、

母親、「出なくて良いわよ」

この一言で、幼い弟も誰がドアチャイムを鳴らしたのか分かったらしく、寿司を食べるのを止めた。

母親、「朝には帰って来るから」

弟、「もう行っちゃうの?」

母親、「お兄ちゃんがいるだろ」

弟、「お兄ちゃんが高校へ行くまでには帰って来てよ」

朝になっても、母親が帰って来ることは無かった。

弟、「兄ちゃん、もう行っちゃうの?」

私、「行かないと遅刻しちゃうんだ」

「ピンポーン」、ドアチャイムを鳴らしたのが私の友達と分かると、弟はガッカリ。

私を迎えに来る友達のことを、幼い弟は嫌っている。

私、「行って来るよ」

私が声を掛けたのは弟でも妹でもなく、奥の部屋にいるアル中の父親。

前日、パクったママチャリに乗ろうとすると、部屋から弟と妹の泣き声が聞こえた。

弟達のことが気になるため

私、「先に行ってて」

友達のA君、「今度遅刻したら退学だぞ」

弟達のことは気になったのだが、高校へ向かった。

家の事情を知っている友達のA君、「お母さんは帰って来てないの?」

私、「帰って来たけど、また出て行った」

男と飲み歩く母親のことは聞いて来ても、アル中の父親のことは聞いて来ないA君。

自宅アパートから最寄り駅までは自転車で15分、パクったママチャリは改札口に一番近い駐輪場に停めたのだが、学校から帰って来ると、改札口から遠い駐輪場に停めてあった。

私、「誰だよ、俺の自転車を勝手に動かしたのは?」

A君、「でも良かったじゃない」

前日同様、パクった自転車のお陰でバイトに間に合った。

バイトを終えた私は、コンビニで弁当を買ってから自宅アパートへ帰ると、幼い弟がアパートの駐輪場で私の帰りを待っていた。

私、「ただいま」

弟、「・・・」

弟が返事をしないのは、アル中の父親に叱られたか、男と飲み歩く母親に叱られたかのどちらか。

私、「今日は焼き肉弁当だぞ」

弟、「えーまた」

肉が好きな弟でも、3日も焼き肉弁当が続くと、さすがに飽きたようだ。

部屋に入ると、幼い弟が自らガラス戸を開けたのは、部屋の中が赤ちゃんのウンコで臭かったから。

オムツ替えをしてもらえない赤ちゃんは泣いている、それを見て弟は嫌そうな顔をした。

赤ちゃんのオムツ替えをしてからコンビニ弁当を食べていると、コツコツと足音が聞こえた。

母親が帰って来たと思った弟が玄関ドアを開けると、「僕1人?」、弟に話し掛けているのはスーツ姿の男性。

弟、「ううん、兄ちゃんもいるよ」

スーツ姿の男性、「部屋に上がって良い」

弟、「お兄ちゃん、お客さん」

私がとっさに部屋から逃げ出すと、スーツ姿の男性が私のことを追いかけて来た。

この様なシチュエーションは過去に何度もあるのだが、どうして追われるのか理由が分からない。

スーツ姿の男性から逃げ切ることが出来た私は、高校の制服に着替えるために、朝の5時ごろアパートに戻った。

寝ている弟達を起こさないよう、静かに制服に着替えた。

追われる理由が分からない私は、普段より2時間早い5時30分に家を出たのだが、アパートの駐輪場にはパクった自転車が無かったため、歩いて最寄り駅に向かった。

最寄り駅に着いた私は始発の電車が来るまでタバコを吸っていると、駅のロータリーに黒塗りの高級セダン車が数台停まった。

その車から出て来たのが、私を追いかけたスーツ姿の男。

マズイと思ったのだが、家がバレていては家族に被害が及ぶと思い、自らスーツ姿の男に近付くと「車に乗れ」と言われ、連れて行かれたのは大きな御屋敷。

スーツ姿の男、「降りろ」

御屋敷に入ると、パジャマ姿の男が私に「お前か、娘の自転車を盗んだのは?」

今まで沢山の自転車をパクっているため、どの自転車のことを言われているのか分からなかったが、相手は素人には見えないため

私、「スイマセンでした」

御屋敷の玄関で土下座していると、パジャマ姿の女の子が出て来て「もう許してあげて」。

土下座している私が顔を上げると、女の子の着ているパジャマが透けてチクビが見えた。

すると、チクビを見られたことに気付いた女の子は、赤面しながら手で胸を隠した。

パジャマ姿の男、「どうかしたか?」

女の子、「なんでもない」

女の子のお陰で私は許された。

御屋敷の駐車場に停まっているのは黒塗りの高級車ばかり、御屋敷を囲う高い塀には有刺鉄線が張られ、普通の家でないことは容易に想像が出来た。

友達のA君からは、その御屋敷には近付かないほうが良いと言われたのだが、パジャマから透けて見えたチクビをもう一度見たくて、何度もその御屋敷の周囲をウロツイた。

友達のA君、「バレたらマズイよ」

バレたらマズイことは百も承知、しかし、パジャマからチクビが見えた女の子は、私にとっては初恋の人でもあったためウロツくことはヤメられなかった。

私がウロツイていることは防犯カメラで見られており、御屋敷から出て来たガラの悪い人達に私はヤキを入れられ、私の初恋は2日で終わった。

もしも過去に戻ることができるなら、私はやり直すと思う。

私の初恋は小学生の時です。

彼とは2年生の頃同じクラスに。

勉強もスポーツも得意で、誰にでも分け隔てなく接することができる、クラスの人気者でした。

私は人と接することが苦手で、どちらかというと大人しいタイプ。

クラスでは目立たない存在だったのではないでしょうか。

特に男の子と話をするのは苦手でした。

そんな彼と、ある日席替えで隣になった時のこと。

朝や帰りのあいさつはもちろん、「何してるの?」「俺は昨日○○に行ったんだよ」などと、彼は私によく話しかけてくれます。

男の子と接するのが苦手だった私も、彼が毎日話しかけてくれることが嬉しくなっていきました。

休み時間は一緒にドッジボールをしたり、給食を食べるのが遅い私のパンを食べるのを手伝ってくれたり…。

日に日に距離は近づいていきます。

そんな彼とはその後も何度かクラスが同じになり、ついに6年生を迎えました。

その頃には、自分の気持ちに気付いていた私。

「彼と同じクラスになれますように」と、始業式の日の朝を迎えます。

学校へ行くと、ちょうど靴箱で彼と遭遇。

「おはよ。また一緒のクラスだって!やった!」と屈託のない笑顔で私に言ってくる彼。

彼は私の気持ちは知りません。

そんな笑顔を見せられ私はドキドキが止まらず、「そうなんだ!」と答えるのが精一杯でした。

彼は6年生でも変わらずクラスのリーダー。

私はいつかこの気持ちを彼に伝えようと思ってはいたのですが、「私なんかじゃダメだろうな」「振られるに決まっている」と思い、中々伝えられません。

今の関係が壊れるのも嫌でした。

そして時は経ち、大イベントの修学旅行がやってきます。

ドキドキワクワクの自由行動のグループ決め。

まず男女分かれて好きなグループになり、後は先生が男女のグループをくっつけるのですが…。

なんと偶然彼と同じグループに!

「俺らよく一緒になるな!」と笑う彼。

そして舞い上がる私。

修学旅行当日が楽しみすぎて、毎日浮かれていたのは言うまでもありません。

こうして、待ちに待った修学旅行の日を迎えるのでした。

私たちは新幹線で九州方面へ向かいます。

彼と一緒に回れるグループ行動が楽しみすぎて、気が気ではありません。

一緒にいた友人にも心配されるほど、緊張していたようでした。

グループでの自由行動では、町を散策したり、色々な施設へ行ったり、自分たちで決めたルートで先生のいる集合場所まで行きます。

「こっちの道で合ってる?」「このアイス美味しいね」などみんなで話をしながら、楽しい時間を過ごしていました。

そしてみんなで路面電車に乗った時のこと。

結構席が埋まっていたので、座れる人は座り、私と彼は立っていました。

彼と近くにいるだけで緊張している私に、彼はいつも通り話しかけます。

「疲れたねー。」「あそこ楽しかったね」などとたわいもない話ですが、それだけで満たされる私。

そんな時何を思ったのか、「今しかないんじゃないか」と、私は彼に自分の気持ちを伝えます。

「私、○○君のことずっと好きなんだよ。」

このひと言を言うので精一杯でした。

彼は驚いた表情で、「ええーーーー!早く言ってよ。」と笑顔で笑います。

私が「えっ!?」と言うと、「俺もずっと好きだったんだけど。」と少し照れ臭そうに言いました。

「俺嫌われてるのかなあと思ってたけど、違ったんだあ!良かったー。」とため息をつく彼。

緊張してうまくしゃべれない私を見て、嫌われていると思っていたようです。

つい私も笑顔に。

私がずっと胸に秘めていた気持ちを彼も持っていたのだと思うと、なんだか嬉しいような恥ずかしいような気持ちでいっぱいになりました。

この時、お互いの気持ちを確認できたことで距離もより近づきましたが、小学生なので付き合うとかそういう感じではなく、卒業まで色々な話をしいつも通り過ごしました。

そんな彼とは、中学校が離れます。

卒業の日、「もっと一緒にいられたらよかった。もっと仲良くなりたいって思ってるときに卒業だから。」という彼。

「私ももっと仲良くなりたかった。」

私と彼は「またね」とだけ言い、それぞれの道を歩きます。

卒業後、彼とは全く会うことはありませんでした。

私は中学・高校でそれぞれ新しい恋もいくつかしましたが、彼のことは一度も忘れたことはありません。

私はその後今の夫と出会い、結婚しました。

そんなある日、私は買い物に来ていたショッピングモールで彼にばったりと会うのです。

はじめに気付いたのは彼の方でした。

「もしかして○○さん?」

誰だろうと思い顔をよく見ると、そこにあったのは昔と変わらないあの笑顔。

すぐに彼だと分かりました。

「え、○○くん!?」

嬉しくてつい大きな声が出ます。

「久しぶりだね、何年振り!?」「今何してるの?」などと、お互いの近況報告をしました。

もちろん結婚をしたことも伝えます。

「結婚おめでとう。こんな時に言うのもなんだけど…。もし中学が同じだったら将来が変わってたかなとか、ずっと考えてた。もっとグイグイいっとけばよかったかな。今更言っても遅いんだけどね。」

私は彼の言葉に、どうしようもない気持ちになりました。

黙ってうなずくことしかできませんでした。

私はその後3人の子どもにも恵まれ、優しい夫と家族5人で楽しく過ごしています。

彼とはそれっきり会っておらず、何をしているのか、結婚しているのかも知りません。

しかし、ふとした時に今でも彼のことを思い出します。

もしも過去に戻るとするなら、私は彼と出会う小学生の頃に戻るでしょう。

あの時もっと話をしておけば、自分の気持ちをもっと伝えておけばと後悔もあります。

やはり気持ちは伝えられるときに伝えておくべきだと思いました。